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恋愛は感謝の気持ちを育めるもの

恋愛とは感謝の気持ちを育めるもの
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  • 恋愛の良さは一体どこにあるんだろう?
Himです♪
@himlog_com

私が「恋愛」について肯定的な意見を述べるのは珍しいことかもしれません。

何故なら、一般的に言われるような恋愛は

  • 自分に欠けているものを補うようなイメージ
  • 求め合うイメージ

を伴うから。

特に、男女間ではそうだと思う。

「女」の私には出来ないことを「男」のあなたがやってくれるだとかなんとか…

しかし、私の考える恋愛観とは、そういうものではないのです。

記事の内容

自分が自分で満たされていたら、相手などもはや必要ないのではないか?という疑問

自分が不足から来る恋愛をしていたときは、ずっとこの疑問が付きまとっていました。

自己愛が満たされてこそ真のパートナーが現れるとかなんとか、巷では言われているけど、自分が自分で満たされてしまったら、そのときはもはやもう相手など必要ないのではないか?と。

自分自身に「求める」気持ち、「欠けてる」「不足」な気持ちがあるからこそ、自分にないものを持っている相手に惹かれてくっつくものとしか思っていなかったかもしれません。

だから、自己愛で満たされたもの同士が惹かれ合ってパートナーになるってどういうこと??どういう風に引き合うの??って疑問に思っていました。

でも、自己愛に溢れた自分がいる今、ようやくその疑問が分かってきました。

自己愛に溢れた自分がいることが大前提

私の考える恋愛観については、お互いが自己愛に溢れていることが大前提にあります。

その自分を愛の波動がいつも取り巻いていて、外側に溢れているのです。

同じように誰かにも、その誰かを取り巻く愛の波動があって、それが自分を取り巻く波動と触れ合って一致した時に、自然と心地良さを感じて惹かれ合うものだと思うのです。

その中でも、この人には一致する波動の度合いが強く感じるとか、この人は特別だと思う相手もいるかもしれません。

その度合いは、お互いが同じくらいかもしれないし、そうではないかもしれないし、時とともにどちらかが変化するかもしれません。

必ずしも同じである必要はないと思うのです。

相手から、愛をもらおうとすれば、いつまでも自分と同じであって欲しいと願うんだろうけど、そういうものではないのです。

お互いに、それぞれがただ自分から溢れた愛を持ってそこにいるだけなのだから、同じである必要なないのです。

不足を叶えてくれるのが恋愛相手ではないのです。

付き合っていたら、何々してくれるのが当たり前、こう思ってくれるのが当然、こうするのが常識、そういうのも違うと感じます。

自分から溢れた愛が触れ合ったところに、自然と気持ちが生まれるもの

というのが、自分の恋愛観、人と人との間に生まれる愛の感覚です。

足りないもの、欠けているものに焦点があるのが前提でそれを補ってくれる相手というのではなくて、既に自分からは満たされていて、そこから溢れさせたものが互いに触れ合い、そこから気持ちが生まれる状態。

でも、ひとりでも既に十分自己愛に溢れているから、別に誰かと恋愛せずとも大丈夫なんです。

それでは、

誰か特別と感じる相手がいての恋愛の良さってどこにあるの?

という疑問に行き着くわけなのですが。

最初に述べた、一般的にあるような、自分にないものを相手に求めて補うような恋愛に関しての良さは述べることは出来ないけれど、私が思う恋愛観の中での恋愛の良さというものはあるのかもしれないと思いました。

「感謝の気持ち」が強くなるということ、「当たり前」じゃないことに気づけること

これはきっとひとりではなかなか感じるのが難しい部分かもしれないと思ったのです。

例えば、誰かが自分のためにしてくれたことが、ほんの些細なことでもひとつあったとします。

そのときに、そこに至るまでのその人の背景を想像するのです。

そして、その時間を自分に使ってくれたこと、限りある時間の中で自分に割いてくれた時間があること、その行為。

自分が自分のためにしていることは当たり前すぎてあまり気づかないんだけど、誰かがしてくれたことはたとえほんの些細なことでも嬉しくて、ものすごい感謝の気持ちが湧き上がります。

それは、自分にとって特別だと感じる相手なら、なおさら気づけるんだろうと思うのです。

ありがとうを伝えたくなる幸せ、ありがとうを受け取る幸せ

自己愛が足りない状態での恋愛は、相手が自分にしてくれたことによって相手の気持ちの度合いを計ったりするから(だって常にもらうことしか考えてないから)、相手の行為に一喜一憂しがちだけれど。

愛に溢れたもの同士の行為は、純粋に感謝しか生まれないんだと思います。

そして、その感謝の度合いも、幸せに満ちる感覚も、自分が既に自己愛で溢れているところにさらに溢れるわけだから、これ以上ない幸せすぎる気持ちしか起こらない。

自分がしてもらったことに対して、感謝の気持ちがとんでもなく溢れることって幸せだと思うのです。

こういうことを味わうために、人はこの世で分離しているのかもしれないと思いました。

何も、試練や学びのために分離がある訳ではなくて。

自分以外の誰かがいるからこそ感じる感謝の気持ち、幸せな感覚を味わうためにこの世にいるのかなと私自身は思います。

今というよりも、一瞬一瞬を大事に生きようとますます思うのです。

一見些細だと感じるようなことも見過ごさずにいたら、めっちゃ幸せすぎる気持ちしかないと思いませんか?

有り難いことに、私の周りは愛に溢れすぎています♪

自己愛に満たされた状態で人と付き合って行くことというのは、ありがとうの交換ができること、それによって幸福度が増すことにもメリットがあるのではないかと思います。

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