さこちゃんが旅立って8ヶ月、子犬のふうちゃんをお迎えして3ヶ月
定期的に綴っているペットロスに関しての記事ですが、さこちゃんが旅立ってから8ヶ月経ちました。
そして、まもなくチワワのふうちゃんをお迎えして3ヶ月が経とうとしています。
そのチワワのふうちゃんは生後4ヶ月を迎えようとしています。
顔つきも毛色も赤ちゃん時代からだいぶ変わってきたり、ちょっと前まで着れなかった服が着れるようになったり、これまで登れなかった場所に悠々と登れるようになったり、色んな部分でふうちゃんの成長を感じています。
これまで以上にはっきり自己主張するようになってきたりだとか、周りに対しての警戒心が出てきたこととか、順調に大人の階段を駆け上がっているんだなぁと実感します。
まだ乳歯は抜けていないんですけど、しっぽは少し太くなりました(笑)
まいちゃんさこちゃんを亡くしてペットロスだったわたしがふうちゃんをお迎えして3ヶ月、思うところをまとめてみたいと思います。
愛犬を亡くされたけどペットロスから抜け出せない方、また次の新しい子を迎えることに躊躇している方、良いことばかりではなくて様々な角度からわたしのことを参考にしていただければと思います。
先代犬チワワのさこちゃんの洋服が着れるようになってきて、その面影が・・・
昨年の夏にお空に旅立った先代犬チワワのさこちゃん。
ふうちゃんとの出逢いもさこちゃんの赤ちゃん時代にそっくりだったからでした。
その記事はこちらをご覧ください。
これまでも赤ちゃん時代のさこちゃんの洋服をふうちゃんに着せてはいたのですが、成長とともにこれまで着れなかったものが着れるようになってきました。
そして、生前さこちゃんが着ていた一番可愛かった洋服を着せるときが来たのです。
このプリーツスカートがついたピンクの制服っぽい洋服がさこちゃんが着ていたものなんですが。
ふうちゃんに着せた途端、その姿がさこちゃんそっくりすぎて目を疑いました。
本物のさこちゃんが目の前にいる!と。
ふうちゃんの姿を見て私は大号泣してしまいました。
さこちゃんのことで人前で泣くことは我慢できるようになっていたのですが、この瞬間はどうしても我慢できませんでした。
だって、目の前にさこちゃんがいるのだから。(いるように錯覚した)
この瞬間、あのときふうちゃんをお迎えして本当に良かった!私の決断は間違いじゃなかった!とさらに確信しました。
ふうちゃんは、まいちゃんとさこちゃんの生まれ変わりだということを信じています。
だからってふうちゃんがまいちゃんとさこちゃんの身代わりというわけではなく、ふうちゃんはふうちゃんという個性のある生命体のひとつとしてちゃんと見ることもできています。
お空に旅立ったわんこと混同してイタいやつとか思われているかもしれませんが、そればかり思ってるわけではないので、表面的なことだけで判断して欲しくはないです。
が、こればかりは人の心なんて誰にも知る由はありませんからね。
ふうちゃんがさこちゃんの可愛い洋服を着れるようになってきて嬉しいこの頃です。
そして、さこちゃんが一番可愛かったプリーツスカートが、ふうちゃんも一番可愛くて似合うっていうのも嬉しいです♪
時間で動く習慣が戻ってきた
いつも一緒に寝ていた先代犬ビーグルのまいちゃんは、歳を取れば取るほど早起きになっていきました(笑)
なので、飼い主も早く起こされるわけですが。
チワワのさこちゃんもいなくなり、飼い主の私は何時に寝ようが何時に起きようが自由になりました。
だって、誰も世話をする必要がないのだから。
完全な自由を17、8年ぶりに得たわけです。
何をするにもある程度の時間で動いていた17、8年でしたが、5ヶ月もすると時間に縛られないことに慣れていきました。
最初の頃は、どこへ行っても、誰もいないのに早く家に帰らなきゃいけない気がしていたけれど。。。
そして、ふうちゃんを迎えてまた完全な自由ではなくなりました。
自らそれを選んだわけなので、自由じゃないって表現も変ですが、時間で動くという習慣がまた戻ってきました。
何時に起こして、何時にはご飯を食べさせ、散歩に行ったり遊ばせたりして、また何時には寝かせるというだいたいのルーティンが出来上がってきました。
この時間までというのがあると、他のやらなくちゃいけないことは時間内に集中して終わらせようっていうメリハリがつきますよね。
でも、ついついふうちゃんとの時間を多く取ってしまうのも、また生き物と暮らしているからこその醍醐味じゃないかと思います。
早寝早起きする生活に戻って健康的です!
まいちゃんさこちゃん時代にお散歩で出逢った人にはいまだ何も言えず・・・
ふうちゃんがお散歩できるようになったので、まいちゃんとさこちゃんを連れて行っていた公園にも頻繁に行くようになりました。
ある日、一通りお散歩を終えて車で休憩していると、向こうから見たことのある柴犬ちゃんと飼い主さんが歩いてきてました。
その瞬間、まいちゃんとさこちゃんが数年前にここでその柴犬ちゃんと遊ばせてもらったことを思い出し、もうふたりが居ないことに切なくなりました。。。
あの柴犬ちゃんは当時まだ若かったから、今も健在でした。
でも、わざわざ車を降りてまで声をかけようとは思いませんでした。
あちらは覚えてないかもしれないけど、私の中では当時の記憶はしっかりと残っていて。
でももうまいちゃんとさこちゃんが目に見える形では居ないという現実がそこにあって、寂しくなりました。
ふうちゃんが一緒にいても場面によっては感じる寂しさがあるようです。。。
五年前の映像です!
先代犬ビーグルまいちゃんと夢でたくさん逢えるようになった
このところ、ビーグル犬まいちゃんの夢を頻繁に見ている気がします。
まいちゃんを抱っこしたり、まいちゃんにご飯を食べさせたり、今ふうちゃんにしていることを夢の中でまいちゃんにもしている感じです。
目が覚めても、まいちゃんを抱っこしたときの肌触りや感覚をしっかり覚えています。
前は、夢に見たい見たいと思いすぎて簡単には出てきてくれなかったけど、今はふうちゃんとの日常を通してまいちゃんさこちゃんのことを思い出しているからなのか、夢も見やすくなっているようです。
まいちゃんも、夢の中でまた私と生きてくれてるのかななんて思ったりして。
夢でまいちゃんさこちゃんに出逢えた日の朝は気分が違います♪
夜に寝息が聞こえるしあわせ
ふうちゃんが少し大きくなってきたからなのか、最近、寝息や寝言、夢を見ての遠吠えなんかもするようになりました(笑)
そう言えば、ビーグルのまいちゃんは遠吠えはしなかったけど、チワワのさこちゃんは起きてるときも時々夢を見ながらでも遠吠えはしていたなぁと懐かしく思いました。
チワワの方が遠吠えしやすいんでしょうかね(笑)
寝ているときにしーんと静まり返った部屋に慣れるのは時間がかかったけれど、またこうしてそばに生きている音が聞こえてくるのを噛み締めながら眠れるしあわせを感じています。
5ヶ月間ひとりだったときは、夜中に目が覚めて何をしようが自分以外は誰もいないのでお構いないでしたが、今は部屋を明るくしたり音を出したりするとふうちゃんが起きてしまうからって考えて行動を制限する部分はあります。
でも、それが不自由だとは思いません。
お出かけ時の不便(買い物やトイレ)よりも一緒に過ごせる楽しさ、嬉しさ
ふうちゃんをお迎えしてから、色んなところにお出かけしに車で連れて行ってます。
ひとりで出かければ、好きなお店で買い物したり、ご飯を食べたり、好きなときにトイレにも行けます。
でも、ふうちゃんと一緒だと、買い物はもちろん、ペット不可のお店でご飯を食べることもできませんし、トイレに行くのもちゃんと車内を安全な状態にしてから短時間で済ませる必要があります。
不便といえば不便なんです。
ただ、それよりもふうちゃんと一緒に色んなところにお出かけして一緒に過ごせる楽しさが勝るんでしょうね。
コロナ禍の影響で良かったことをひとつ挙げるとするなら、テイクアウト出来るお店が増えたこと!
店内でしか食べれなかったものが、車内でふうちゃんと一緒に食べられるんだから、ペット連れでお出かけしている人たちにはテイクアウトはありがたいですよね。
エアコンをかけたり対策をしたとしても、車内でわんこを待たせるのは何があるか分からないので気が気じゃないですもんね。
安心安全でわんこと過ごせるのが何よりです。
お出かけするのはひとりでもそれなりに楽しいことは楽しいです。
ただ、誰かのために動けることが嬉しいのかもしれません。
芝生のある公園に連れて行ったら走りやすくて喜ぶだろうかとか、もっとお日様を浴びさせてあげたいとか、その子のためにできることを考えられる時間がしあわせ。
趣味が犬との時間
私の趣味ってなんだった?と、これまでひとりでやってたことを思い返してみると色々あります。
旅行だったり、釣りだったり、アウトドアも好きだし、映画鑑賞だったり、写真を撮るのも好き。
ふうちゃんがうちにやってきて、それらの趣味をする時間はそんなに多くなくなりました。
それでも、映画は観に行くし、写真や動画はふうちゃんを通して撮っていますけどね。
ふうちゃんがもう少し大きくなったら、釣りに連れて行ったり、キャンプや車中泊の旅に連れて行ったりもしたいなぁとは思っています。
コロナが少し落ち着いたら、ペット可のホテルにふうちゃんも一緒に連れてお泊まりもしたいですしね。
でも、きっとふうちゃんが一緒となれば、釣りがメインでも、キャンプや車中泊がメインでもなく、ふうちゃんと過ごすことがメインになると思うので、釣りもそこそこに、キャンプもそこそこにって感じになるんだろうなぁ(笑)
結局、犬と過ごす時間が私の最大の趣味なんだと思うのです♪
日常で声を発することや笑うことが増えた
まいちゃんもさこちゃんも居なくなって、日常で大きな声を発することはなくなっていました。
特にゲラゲラ笑うことなんかはほとんどなくなってたと思います。
家では、しーんと静かな部屋で淡々と過ごす感じでした。
それが、ふうちゃんが来てからの今は、ふうちゃんがいたずらばかりするもんだから大きな声を年中出している気がするし、ふうちゃんがいつも何かおかしなことをして家族を笑わせてくれます。
被害妄想強めなチワワ、見てください!
ふうちゃんは居るだけで何かしら笑わせてくれる天才犬です!(笑)
いつも飼い主を大好きでいてくれるしあわせ
まいちゃんさこちゃんもそうでしたが、何があってもどんなときも飼い主を大好きで居てくれるというのが、しあわせで満たされる部分かもしれません。
朝起きてふうちゃんをケージから出すと、しっぽをぶんぶん振って飼い主をペロペロ舐めて会いたかったよー!!!って全身で嬉しさや大好きを表現してくれます。
いつも待っていてくれます。
いつも大好きでいてくれます。
ひとりで生きていけないことはないけれど、いつも待っていてくれたり、いつも大好きで居てくれる存在を知ってしまったら、やっぱりわんちゃんや猫ちゃんが恋しくなるんじゃないでしょうかね。
ペットロスは誰かがこうすればああすればと思うことではなく、その人を信じて見守ること
ペットロスに関してはとてもデリケートな部分だと思うので、これまで私も言われて嫌だったことや気に障ったことなどはありました。
ただ、相手は嫌な気分にさせようなどと思ったわけではないのでしょうけれど、生き死にに関することは簡単に口にしないで欲しいと思うのが正直なところです。
その人その人のタイミングや思いがあるからです。
いつまでも泣いてたっていいじゃない。
亡くなってまだ間もなくっても新しい家族を迎えたっていいじゃない。
今後一生ペットとは暮らせない。。。って思って引きずっていたっていいじゃない。
自分の心を決めるのは本人であって、まわりの人たちがとやかくいうことじゃないと思うのです。
他人からはただのペットに見えたとしても、本人は我が子同然に思っているかもしれません。
そんな我が子を亡くした人に、寂しいなら早くもうひとり産んだら?などと言えますか?
我が子を亡くしてすぐの人に、いつまでも泣いてたら成仏できないだろうなどと言えますか?
最愛の我が子を亡くしたんですよ。
ペットロスの最中にいる人に、痛々しい目線を向けることもそうです。
その人が何をどう選択しようが、きっとしあわせを選ぶと信じてただ見守ることだけでいいと思うんですよね。
誰かをかわいそうにしているのはそういう目で見る人の心であって、本人はしあわせでいようと懸命に生きているのだから。
そのときそのときの心を信じて見守るだけでいいと思うんですよね。
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