2020年8月のお盆期間中に愛犬さこちゃんが旅立ちました。
前回、四十九日を終えてから記事を書きましたが、今回は3ヶ月経っての心境や現状を綴りたいと思います。
同じ時期にペットちゃんが旅立たれた方、まだ思い出すと寂しかったり辛くなったりする方に、「自分だけじゃないんだな」と感じていただけたら幸いです。
寂しい気持ちを抱えながらも、わざわざ人にじっくり話すことをしなくなった
誰かと会話していてふとわんこの話題になっても、ある程度明るく話そうとしている自分がいる気がします。
感情にのめり込まないようにってコントロールしている気が。
それに、ここで泣いたりでもしたら場を乱すとか、そんな風に考えてしまうのかもしれません。
逆に言えば感情をコントロールできるぐらいにはなったのかもしれません。
でも、その小さなことが積み重なって行くと、そのうちドカン!と大きなものが来ちゃうのかもなぁと感じています。
私の中の愛犬たちを亡くして寂しい気持ちは直接の会話としては誰にも聞かれることがないのだから。
その点は、前回の記事と同様にインスタをやっていて良かったと本当に思います。
インスタではわんこたちの想い出の写真とともに自分の現状を語れるし、それを読んでくださるフォロワーさんがいるので。
家族との間では毎日わんこたちのことが話題になっている
大切な家族である愛犬たちは、私たちの目には見えなくなってしまったけれど、いつもそばにいるって信じてます。
家族との間でも愛犬たちがいたときと同じように今も話題にして、あんなことあったよね、こういうときこうだったよねって笑い合ってます。
明るい話題はできるけど、ふと思う亡くなる日のこととかは語らなくなりました。
軽くは話せても、深く思っていることは口にしなくなりました。
口にすると泣いてしまうのがわかるので。
四十九日あたりまでは家族の前でも泣いてましたが、今は抑えることができるぐらいになりました。
でも、抱えてるものは変わらない気がします。
愛犬たちを亡くした今でも、まいちゃんさこちゃんのママさんと言ってもらえるのが嬉しい!
正直、自分にはママというワードはまったく似合わないのですが(笑)
以前から愛犬たちのことになるとママさんって呼ばれて悪い気はしませんでした。
そして、まいちゃんもさこちゃんも旅立ってしまった今でも、インスタのコメントでまいちゃんさこちゃんのママさんって言ってくれる方がいらっしゃって、あぁ忘れないでいてくれるんだなって嬉しくなります。
旅立ってからも我が子のことを覚えていてくれるのは本当に嬉しくて感謝の気持ちでいっぱいになります。
でも、そうやって呼んで下さる方って、ご自身の先に旅立たれたわんちゃんのことを今も大事に思っているんだろうなって。
この世には居なくなってしまったけれど、変わらずに自分は○○ちゃんのママだっていう意識を持っている方なんだろうなって思います。
本当にみなさんの優しさに救われています。
レンタルしていたテルコム酸素ハウスのことがいまだに記事にまとめられない
2019年、先に旅立ったビーグル犬まいちゃんも闘病中にテルコムさんの酸素ハウスを使っていたのですが、そのときの酸素ハウスに関しての記事はしばらくして書けましたのですが。。。
2020年8月に旅立ったチワワのさこちゃんも同じく酸素ハウスを使っており、無事に良くなって返却したらレビューしようと思っていたのですが、いまだに当時のことを記事にすることができません。
詳細を思い出すにはまだきついようです。
特に、旅立つあたりのことは色んな思いが交差して胸が苦しくなるので、まだまだ向き合うことはできないみたいです。
トイレシートや寝床は以前のまま置いてある
これは賛否あるかもしれませんが、うちではトイレの場所も寝る場所も今までのまま残してあります。
正確にいうと、寝る場所にはテーブルを置いて祭壇にしています。
生活していたときのものが残っていると余計に悲しくなるから早めに片付けたという方もいると思います。
また、これまで暮らしてた状態のままだとペットちゃんたちが天国へ行けないとかなんとかって話しもあるのかもしれません。
でも、うちではまだ何も片付けない方が、それぞれ家族にとっては心に優しい状況なのです。
だから、いつかは片付けなくちゃ!とも思ってないし、そのうちだんだんと片付いて行くのかもしれない、または新しい家族を迎えてその配置のまま生活をするかもしれないし。
こういうことに関しては、○○した方がいいよって他人が言うべきじゃないと思うんですよね。
それぞれの心に大事にしているものだから。
そして、それぞれの心のペースがあるのだから。
また、自分が言われて思ったのは、「新しいペットちゃんを迎えたら?」という言葉に対してですが、言った本人はなんの気なしで発言しているのかもしれませんが、言われた方は簡単に説明できない、説明したくない複雑な気持ちを抱えているかもしれないということ。
今はまだそっとしておいてくださいっていうのが本音かもしれません。
他のわんちゃんを見て、愛犬たちの仕草や行動を思い出す
まいちゃんは昨年から居ません。さこちゃんも3ヶ月前から居ないわけです。
一緒に過ごして来た日々のことはまだまだたくさん覚えているけれど、インスタで他のわんちゃんのやってる仕草や行動を見て、あぁうちのわんこたちもこんなことしてたなぁって改めて思い出すんです。
ってことは、目にしていないと少しずつ忘れかけてしまっているんだなということも実感します。
庭の落ち葉を咥えて歩いてたなぁとか、お風呂を嫌がってだだをこねる仕草だったりとか、そういうのを他の方のインスタで思い出させて貰ってるんだなぁって。
新しい子を迎えることについても、色んな気持ちが交差します。
私にとって、まいちゃんとさこちゃんは特別すぎて、新しい子を迎えたらふたりの記憶が薄れて行ってしまうんじゃないかって気持ちがあったりして。
薄れたくない、忘れたくないんですよね。
忘れることはないでしょうけど、新しい記憶が増えるということは過去の記憶が奥に行ってしまうということだから。
出不精になりつつある
さこちゃんが旅立ったのがお盆、そして3ヶ月経った今は秋から冬になろうとしているところです。
だんだん寒くなってきているのもあって、自分が出不精ぎみになっているのを感じています。
私の場合は「誰かのために」が自身の大きな喜びになっていて、自分だけのためにってなると特別何もしなくてもいいやってなるのかもしれません。
それでも、したいことや行きたいところがある場合は行動しますが、この子のためにってのがなくなったんだなぁと実感してます。
わんこたちがいれば、少しでもお天気ならお散歩に連れて行きたいってなるのにね。
動く被写体がないのは寂しい
まいちゃんさこちゃんが旅立ってからは、それぞれの形となる犬のぬいぐるみだったり犬の置き物を一緒にお出かけに持って行ってます。
前にここに来たよね、こんな風にして写真を撮らせたよねって思いながら、そのぬいぐるみたちを被写体に写真撮影するのですが、これはこれで想い出を振り返れて楽しい部分もあるけど、やっぱり動かないってのが寂しく感じます。
「こっち向いて!」「まだ座ってて!」って、なかなか思い通りにならない被写体を頑張って撮影するのが楽しかったなぁって。
メルカリなどで売れるであろうものをいまだに売れない
予備に多めに買っておいた犬用サプリメントとか、ジェモセラピーという犬用のレメディーがほとんど使っていない状態で残ってしまっているんだけど、なかなか売ることができずにいます。
捨てるにはもったいなくて消費期限もあるだろうから早めに売った方がいいんだろうけど、なかなかそこまでして片付けるという気力がおきませんね。
さこちゃんの心臓病と腎臓のために使っていたレメディー
まとめ
日々、色んな気持ちを抱えながら過ごしています。
こうしなきゃもないし、こうすべきもありません。
思うまま、感じるままに過ごしていけばいいんじゃないかと思ってます。
ときは流れても、まいちゃんさこちゃんを大切に思う気持ちはいつまでも変わらないですね。
ペットちゃんを亡くされた方にオススメの本です。
私も読んで救われました!
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ペットロスの私が読んで救われた本
江原啓之さんのペットに関する本
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